2017-12-05 第195回国会 参議院 外交防衛委員会 第2号
しかし、その国際問題を武力によって解決してもいいじゃないかという革新派官僚と言われるような外務官僚が生まれて、そして全体として軍国主義の流れの中で日本は無謀な戦争に、誤った国策に突き進んでいった、そうした歴史を河野大臣、そして小野寺大臣もしっかりとかみしめていただいて、政府として先ほどの要求に、私の統一見解の要求に対して誠実に答えていただけるように思います。
しかし、その国際問題を武力によって解決してもいいじゃないかという革新派官僚と言われるような外務官僚が生まれて、そして全体として軍国主義の流れの中で日本は無謀な戦争に、誤った国策に突き進んでいった、そうした歴史を河野大臣、そして小野寺大臣もしっかりとかみしめていただいて、政府として先ほどの要求に、私の統一見解の要求に対して誠実に答えていただけるように思います。
当時の日本では保守派であれ革新派であれ直接民主制の研究は進んでいて、特に、第一次世界大戦後のヨーロッパの経験から学んでいました。 直接民主制には、市民意思の直接的な投入であるイニシアチブと市民意思による承認であるレファレンダムの二つがあり、それは併用されるべきものであることも指摘されていました。
沖縄県立公文書館には、アメリカでトップシークレットとされていた文書類が三十年たって次から次へと解禁されて、いろんなのが集まっておりますけれども、例えば一例を挙げますと、一九六八年というのは沖縄で戦後初めて公選による主席公選、知事選挙が行われたわけですが、実はそのときに、基地を容認する保守派の候補者を勝たしめ、そして基地を否定する革新派の候補者をつぶすために、ライシャワー大使がCIAの金を七十二万ドル
それと、守旧派かどうかですが、労働組合はまさに革新派でありまして、当時、言うならば、営業なんてナンセンスだという郵政省時代に、私どもの方から、やはり営業時代だから営業をしよう、あるいは翌日配達もしよう、こういうことをどんどん提起しました。 あるいは、コンビニのローソン様との提携もそうなんです。
ところが、おおむね、国鉄もそうだったけれども、野沢さんは革新派で、あなた技術屋さんだからトンネル掘りで日本一でとやっておられたんだからあれだけれども、大体の公社、公団、特殊法人は、世間の人たちがいわく、役所の悪いところと民間の悪いところを集めたようなものだ、こういうふうに言われておったわけですよ。だから、改革が始まって、JRも生まれ変わった、どんどんよくなっているわけですから。
自来、二十年近い歳月が流れたわけですが、私が弁護士会、一弁の副会長をやっておりましたときに、拘禁二法、四法の問題が起こりまして、私は担当副会長として反対運動の先頭に立ったわけでありますが、日弁連さんは主として革新派の方へ行かれるものですから、我々一弁は政権与党である自民党に陳情しなきゃいかぬということで、お願いに上がった。
○横内委員 次の質問でございますけれども、参考人の日本国憲法の制定過程の議論として、基本的なお考え方は、当時のアメリカの占領軍あるいはアメリカの国内に、守旧派と革新派があったというふうにおっしゃいましたね。守旧派というのは、古い、戦前の日本を知っている知日派、グルーとかスティムソンとかですね。
それはどういうことかといいますと、実は韓国には対北政策をめぐって御指摘のように保守派と革新派の対立が常にありまして、前の康仁徳さんはどちらかといいますと保守派の代表であったわけです。保守派の代表が入っていたために保守派からの攻撃は非常に弱まった。
世の中変わっていくわけですから、世の中の移り変わりに合わせて先を見て柔軟に対応していくということが本当の、改良派というのか革新派というのか知りませんが。
○政府委員(兵藤長雄君) 今、御指摘いただきましたいろいろな動きの中でタジキスタン共和国の動きでございますけれども、私の理解では、タジク共和国はCIS、独立国家共同体の中でもいわば実質的には共産党支配体制が続いていたところで、これに対する一般の特に革新派あるいは民主化グループからの不満がうっせきしておったということが原因であるのではないかというふうに認識をいたしております。
急速に今度は左の方に、革新派の方に転回をしていく。 それに対して、保守派が大変な危機感を募らせる。五月には、人民代議員大会を開いて合法的にゴルバチョフを解任しようという動きが出ました。これは失敗をいたしました。
保守派も革新派も私に言うことは、アラブ人の世界をつくりたいのだ、アラブはアラブなんだ、アメリカ合衆国もソビエトも出ていってくれと。それは根本的にそうであります。そのことに対して私たちは連帯しない限り、我々の未来はないだろうと思います。私はあえて言います。日本は日本なんだと。そのことをちゃんとやってほしい。この予算を見た場合そのことをやってないと思うのです。 非同盟という運動があります。
そのときにたまたま知事の選挙がありまして、革新派の人が四十九年十一月に出られたわけです。出られまして、四十九億円の赤字が出るということを目前にして知事がどういう決断をしたかといいますと、時間がありませんから簡単に申しますと、知事さんみずからの給料を二分の一にカットしました。実に大胆なものです。そして、みずから自分の給料を半分に落として職員の皆さんに対してお願いをしました。
現に、いまの町当局の町長は決して革新派ではありません。まさにおとなしい保守派の町長さんでもあります。そういう町長あるいは町当局を反対の旗頭に結果的には追い込んで、このような騒動を引き起こした原因を一体どう考えておられるのか、聞かしていただきたいと思います。
もう一つは、文教厚生委員会が市議会にありまして、その文教厚生委員会の皆さんは、委員会を形成しているのはどちらかというと革新派の方が多いようなんですね。
(拍手) このような強権規定をつくり出すに至った経過の中には、最近の東京、京都、大阪、埼玉等の大都市圏の都府県知事や市長の多くが革新派によって占められているといういら立たしさ、都府県知事、市長等が田中首相の意のままに動かないような万一の場合に備えて、伝家の宝刀を抜き、地方自治体に対して政治干渉を行なおうとするかまえと、その対策のためのものだと伝えられておりますが、田中首相の真意を承りたいのであります
○受田委員 私、こうした基地のある市というものは、保守的な市長さんでも住民の意思に従って行動し始めると、つい革新的なかっこうになって、自民党の皆さんは、だんだんと自派に属する市長さんまでも革新派に追いやっておるという、お気の毒な結論が出る。
○中曽根国務大臣 リーダーの交代ということを申しましたが、七五年ぐらいまでには故西村委員長の念願が実って、革新再編成が成功して、革新派のほうがリーダーとなって日本を統治する時代が来ることを、私は日本の民主政治がうまく交代して切磋琢磨していくという意味からも期待をしております。どうぞしっかりがんばっていただきたいと思います。
これは、何も革新派が強いとか弱いという問題ではない。つまり、知らず知らずに反米感情というものが醸成されている。
首相の南ベトナム行きには、革新派だけでなく、市民、知識人らひろく国民の間に反対の気持が強い。首相の行動が、ベトナムを中心に、あらたな緊張関係をつくり出していることに、危険を感じているからだ。」という言もございます。また茅さんの発言についても同じでありまして、「私も首相は南ベトナムにいかないほうがいいと思う。」というような趣旨を述べておられるのであります。